芥川賞受賞作でもある「おいしいごはんが食べられますように」という作品をご存知だろうか。エンタメ性の高い作品に贈られる直木賞の受賞作と違って、芥川賞作品は少しとっつきづらいという印象を持っている方もいるかもしれない。しかし、本作は比較的短い小説となっているので、普段本を読まないという人でもサクッと読めてしまう手軽さがある。
また、内容は誰もが経験したことがあるような職場のモヤモヤ、誰もが会ったことのあるあんな人、こんな人に対する色々を綺麗に言語化してくれている誰もが共感すること間違いない作品なのだ。
第167回芥川賞受賞作。「二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」心をざわつかせる、仕事+食べもの+恋愛小説。職場でそこそこうまくやっている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事ができてがんばり屋の押尾。ままならない人間関係を、食べものを通して描く傑作。
講談社BOOK倶楽部
おすすめポイント
あらすじにもあるとおり、仕事と食事と人間関係をうまく絡めて物語を進めていく名作です。職場の人間関係に関するモヤモヤや、食に関してアレコレ思っている人にはぜひとも読んでもらいたい1冊となっています。
どこの職場にもいそうな人やありそうなモヤモヤが明確に言語化されていて気持ちいいし、そのモヤモヤに一筋の光を照らしてくれるのではないかと思います。
タイトルには「おいしいごはん」とありますが、食事に関する魅力や「美味しい食事がモヤモヤを晴らしてくれるよね」なんていうほんわかした和むストーリーではありません。むしろ、食事ってそんなに大事?とこちらに問いかけてくるような展開で非常に面白い。食事に関して思うことがあるならば、絶対読みたい作品です。
作者・高瀬隼子とは?
2019年「犬のかたちをしているもの」で作家デビューし、「おいしいごはんが食べれらますように」で第167回芥川賞を受賞しています。他にも、「いい子のあくび」、「水たまりで息をする」などの作品があります。
立命館大学出身で、そこで専攻した哲学が彼女の先入観を読み解く作品の原点となっています。インタビューでは、以下のように本作を語っており、その先入観への解像度の高さが、このような秀逸な作品を産んでいるのかもしれません。
別に小食なヒーローがいてもいいし、ご飯はまずくて嫌いというヒロインがいてもいい。食欲と人格は絶対に別物なのに、イコールで結び付けられているのが不思議で。今回のタイトルも、『おいしいごはんが食べられますように』と書いているだけなのに、これだけを読むとほっこりした話のような感じがする。すでに自分の中にフィルターがある感じがして、そこへの反感があります
https://shiruto.jp/culture/4652/
【ネタバレ】ストーリーを教えます
個人的には、小説には解決しない物語があっていいと思っています。特に芥川賞作品は、作品内で何か解決したり、登場人物達が成長したり、ということがないものあると思います。
この小説はそういう小説です。日常で感じるモヤモヤをキレイにまとめて、研磨して、こちらに投げてくれている。投げられたものを、検分するか、放置するか、飾るか…それは読者側に委ねられている作品なのです。
登場人物
二谷
舞台となる埼玉の支社に3ヶ月前に転勤してきた入社7年目の中堅社員で男性。結婚を意識しだし、芦川と付き合い出す。食事に興味はなく、3食カップラーメンでも構わないと思っている。
芦川
30歳になる女性社員。以前の職場でパワハラ被害にあった影響か、怒鳴られることなどが苦手。料理上手でよく職場にお菓子を焼いてくる。
押尾
芦川の後輩にあたる女性社員。学生時代はチアリーディングをしていた。仕事ができる頑張り屋で真面目。二谷を頻繁に飲みに誘い、仕事や芦川の愚痴を話す。
藤
40代の支店長補佐。少しセクハラじみた行動をとる。
二谷と食べること
この作品は、とある企業の埼玉の営業所が舞台で、その主人公的キャラクターである二谷は29歳の中堅社員。普段からカップラーメンばかり食す独身男で、食に対する関心は希薄。冒頭では、以下のように語るほどおいしい食事には関心がない。
一日一粒で全部の栄養と必要なカロリーが摂取できる錠剤ができるのでもいい。それを飲むだけで健康的に生きられて、食事は嗜好品としてだけ残る。酒や煙草みたいに、食べたい人だけが食べればいいってものになる
「おいしいごはんが食べられますように」p5
作中では、料理上手の芦川さんと恋人関係になるが、彼女が作る温かい料理に対して、感謝の感情はなく、むしろ栄養バランスの取れたおいしい食事を強要してくる彼女に対して嫌悪感すら抱くほど。
二谷は、周囲の空気や他人が期待することを感じ取ることがうまく、その期待通りのリアクションを取ることができる男性という印象だ。本を読むのが好きなのに、「文学部卒の男は就職できない」という誰かの言葉で文学部を諦めるなど、周囲からの評価に合わせて自分の決定を変え、文学部に対してコンプレックスを抱くほど、「自分の素直な気持ち」に鈍感な印象を受ける。
芦川さんと押尾さん
誰もが自分の仕事のやり方が正しいと思っている。
そんなセリフに代表されるように、芦川さんと押尾さん、2人の女性社員の仕事の仕方は正反対だ。料理上手で、「守ってあげたくなる」見た目をしている芦川さんは、頭痛がすれば早退するような「無理をしない」働き方。かつてパワハラ被害を受けた影響もあり、たとえ自分のミスであっても怒鳴られるような得意先に赴くことはしないし、周囲もそれを理解して助けている。
一方の押尾さんは芦川さんより後輩だが、頑張り屋で仕事ができる。無理なことは彼女にもあるが、頑張ればできてしまうため、彼女に気を遣うような人は職場にはいない。それゆえに、「ゆるく」仕事をしている芦川さんがあまり好きになれないのだ。
頭痛を催しては、定時やそれ以前の時間帯に帰宅し、そのお詫びと称して手作りのお菓子を翌日持参してくる芦川に、押尾は常にモヤモヤを抱えている。そんなある日、芦川の手作りお菓子がゴミ箱に捨てられているのを見つけ、そのゴミを芦川に机に置くという「いじわる」をしてしまう。
二谷と芦川さん
最初はワンナイトラブのようなつもりだった二谷だが、その「適当に扱っちゃいけない」雰囲気に飲まれて付き合うことに。ちょうど親や祖父母から結婚を急かされていたこともあり、体の相性が良く、料理ができて、結婚相手として「ちょうどいい」彼女との結婚を意識し始める。
しかし、デートでは「普通の晩ごはん」風の食事を提供するレストランで、物珍しそうにはしゃぐ芦川に対して、「実家住まいのくせに」とイライラしたり、芦川が用意した「きちんとした」食事の後にカップラーメンを食したり、「食と向き合うこと」を強要してくる芦川に辟易としたりしている。
また、芦川の焼いてきたお菓子は食べることもなくこっそりと潰して、ゴミ箱に捨てていた。そんなふうに、彼女を理解できないながらも、「タイプの女性」、「容赦なくかわいい」と評し、結婚前提の付き合いをしているのだ。
誰にとって「ちょうどいい」?
こんなモヤモヤの連続のストーリーのラストには、退職する押尾は最後に職場に対する不満を同僚たちに表明して去っていく。
一方の二谷は支店を異動になるが、結局、周囲の期待に応えるように、心の中では嫌だ嫌だと思っている手作り料理の感想を口走る。そして、芦川が期待するような「結婚」というワードまで出してしまう。「食」に関する部分はこんなにも相性が良くない女性に対して。「ちょうどいい」は誰からの評価なのか。生きていく上での価値観は、どこに照準を当てるべきなのか、もう一度立ち止まって考えてみたくなる。
まとめ
いかがでしたでしょうか。二谷と同じように、食に対して思うところがある、職場でのモヤモヤがあるという方は、ぜひこの本を手に取ってみてください。一冊読み終える頃には、そのモヤモヤの解像度がきっと上がっていること間違いなしです。
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